Vol.42 古き良き時代のタオルミーナの面影を残す市民公園 その2
19世紀末にレディ・フローレンス・トゥレヴェリヤン(Lady Florence Trevelyan)というイギリス人貴族女性によって作られた、筋金入りのイングリッシュガーデン「ジャルディーノ・プッブリコ」に関する記事です。
→その1はこちら
→その3はこちら
タウロ山中腹の200mに位置するタオルミーナでは、街のすぐ周りは自然に溢れ、眼下にはエメラルドグリーンの海岸線のイオニア海からエトナ山へと続く壮大な自然美のパノラマが展開するのですが、他のイタリアの街と同様に、中心部は建物が密集していて、メインストリートを歩いていてもいくつかの広場を除くとおよそ緑を目にすることがあまりありません。
自然の地形と気候風土を生かした市民公園は街のオアシスともいうべき豊かな緑に囲まれた庭園です。
入り口を入ってすぐの天使が降りてベンチに座っているかのような洒落たオブジェに思わずふと微笑んでしまいます。
トゥレヴェリヤン夫人は、1852年スコットランドとの国境にも近いイギリス北部で生まれました。
お母様もガーデニングを愛していらしたそうで、自然を愛する心、博愛主義、イングリッシュガーデンへの情熱などが自然と育まれていったんでしょうね。
実は、トゥレヴェリヤン夫人の母親はヴィクトリア女王の従妹。
ヴィクトリア女王が夫君のアルバート公を若くして亡くしたのち、スコットランドのバルモラル宮殿で過ごしていた頃、女王の侍女を務めていたので、トゥレヴェリヤン夫人も女王ととても近しい間柄にありました。自然や犬、鳥、刺繍を愛するということも女王と共通していました。
トゥレヴェリヤン夫人の母親が1877年に亡くなった後に、夫人は従姉妹と2人で30カ月という長い期間、ヨーロッパ中を旅します。
1881年にメッシーナから列車でタオルミーナにやってきていますが、その様子が日記に記されています。
タオルミーナの印象については「素晴らしい、偉大、美しい、魅惑的、絵のような風景」などなど称賛の言葉に溢れています。
日記の中には「親愛なる従兄弟エドワードへ」と記されています。
エドワードとはヴィクトリア女王の長男で、お世嗣のエドワード王太子(後のエドワード7世)です。実はこの長い旅は王太子から遠ざかり、彼を忘れるための旅でもあったのです。
1881年の2月にイギリスに戻りますが、エドワード王太子とのスキャンダルのために女王に糾弾されます。
ヴィクトリア女王といえば、若くして亡くなった夫君のアルバート公とも相思相愛の理想的な夫婦、当時のイギリスの価値観は、勤勉、禁欲、節制、貞淑といった少し厳格すぎるかもれないものでした。
それはまさに女王の価値観そのものでもあり、イギリスでは王が道徳的に高潔な時にのみ、国民から支持が得られるという背景もあり、ロイヤルファミリーは国民のお手本たるべきところ、事もあろうに王太子の不倫など、当時のイギリスのモラルでは絶対に許されるものではなかったのです。
女王に糾弾されたトゥレヴェリヤン夫人は、48時間以内にイギリスを退去という厳しい措置で、即座に国外退去となってしまったのです。(最もヘンリー8世の時代だったらロンドン塔で斬首されていたでしょう、と思えば、国外退去なら温情たっぷりと言えるかもしれませんね。)
イギリスを出た夫人は1884年に、このタオルミーナに落ち着きます。
そしてニ度とイギリスの地に、足を踏み入れることはありませんでした。
1890年には、医学教授で町の市長も長く務めていたサルヴァトーレ・カチョーラ氏と結婚されます。
カチョーラ氏との結婚生活では、すぐに長男も生まれたものの出産直後に亡くなってしまうという悲劇もありましたが、優しく愛情豊かなカチョーラ氏との結婚生活は円満でした。
そして、1897年から1898年にかけて、中心地より少し下がった、劇場の下の辺りにある87の私有地を次々と購入します。42人もの農夫を雇い、彼らにガーデニングを教えてこの庭園を築き上げていったのです。
トゥレヴェリヤン夫人は手塩をかけて作り上げた庭園をこよなく愛し、この庭園を自分が育ったハーリントンにちなんで、シチリアン ハーリントン、Hallington siculoと呼んでいました。
そして当時タオルミーナを訪れた人々、芸術家や王侯貴族たちもここを訪れました。その中には、エドワード7世もいました。
エドワード王太子は1902年にヴィクトリア女王が崩御されると59歳で長ーい王太子時代(それよりも長い王太子時代が現チャールズ王太子)を終えて、1902年にエドワード7世として即位しています。
ヴィクトリア女王の治世が長かったのでエドワード7世の治世はわずか10年足らずですが、その短い治世の間に2回タオルミーナを訪れています。
1度目は1906年にトゥレヴェリヤン夫人のお招きでアレクサンドラ王妃と一緒にこの訪れました。翌1907年にトゥレヴェリヤン夫人が亡くなりました。そしてその翌年の1908年にも、もう一度タオルミーナを訪れています。
→続きはこちら
- Author Profile
原 志津子/shizuko hara
シチリア州公認ガイド、日本語通訳。 当地在住14年(2016年時点)になりますが、歴史と文化の薫る、美しい自然のシチリアが大好きです。
日頃よりシチリアを中心に旅行客の皆様をご案内しながら、 素晴らしいシチリアの魅力を少しでも多くの皆様に知ってもらいたいと思っています。
自らも、おいしいものと旅が大好きで、愛車TOYOTA YARISでシチリア中をまわり歩く個人旅行者です。
趣味はシチリアの豊富な食材を使った料理で、得意料理はイカスミリゾット、カポナータ。
http://www.shizukohara.com/