Vol.21 強者どもが夢の跡、セリヌンテ神殿群
野山が緑織りなす春になると、ちょっと郊外に出て行きたくなります。
シチリアには自然も溢れているので出かける場所には事欠きませんが、
今回は、古代ギリシャ時代の壮大な神殿群が残るセリヌンテをご紹介します。
シチリアでギリシャ神殿というと世界遺産にもなっている
アグリジェントの神殿の谷が有名ですが、
セリヌンテにも素晴らしい神殿群が残っています。
▼E神殿
▼F神殿
▼C神殿
古代都市 セリヌス
セリヌンテはシチリアの西部に位置する古代都市セリヌスの遺跡です。
紀元前628年に建設されると農業と交易で栄え、
それからわずか100年で当時のギリシャ世界最大級の神殿を建設するまでに発展を遂げるのです。
この当時最大のG神殿は今は瓦礫の山だけですが、
転がっている石を見てもその大きさに圧倒されます。
▼G神殿
幅約50m、奥行き約110m、これはサッカー競技場並み、
円柱も基部の直径が3.4m(八畳一間に匹敵!)、高さは16.4m。
▼子供がいる石は、円柱の上に乗っかっている柱頭の部分
▼神殿の完成予想図 円柱断面の面積はほぼ八畳一間に匹敵。
※イラストは遺跡内の看板を撮影したものです
勢いを増すセリヌスは農業と交易発展のために常に領土拡大を試みます。
これが近隣都市との抗争を生み、特にセジェスタとの領地問題で抗争が絶えませんでした。
セリヌスがセジェスタ領域内である北海岸線に交易拠点を築くと、セジェスタはカルタゴに頼るしかないと、カルタゴの庇護下に入り、援軍を依頼します。
カルタゴはまず平和的解決を試みますが、シラクーサ、ジェラ、アクラガスとも同盟関係にあるセリヌスは強気にも平和的解決のための交渉も拒絶。
とうとう紀元前409年にカルタゴ軍がセリヌスを包囲します。
シラクーサ、ジェラ、アクラガスなどの援軍を頼みとしていたセリヌスでしたが、シラクーサは東海岸線イオニア人都市との抗争で、出発が遅れ、シラクーサの到着を待っていたジェラやアクラガスも出発が遅れます。
セリヌスは必死に戦いますが、それまで自国を戦場とした戦争経験がなかったこともあり9日間の激しい包囲戦の末、とうとう力尽きて降伏。
カルタゴ軍が町になだれ込み、徹底的に略奪、破壊の末、16,000人の市民が虐殺されました。神殿に逃げ込んでいた女子供たちは奴隷となりました。
命からがらにアクラガスに逃げ延びたわずかな生き残りたちがのちに町を再建しますが二度と昔日の繁栄を取り戻すことはありませんでした。
カルタゴの急襲を物語る Cava di Cusaカーヴァ・ディ・クーサ
カルタゴの急襲を物語るのが、G神殿建設のための石切場、Cava di Cusaカーヴァ・ディ・クーサです。
セリヌンテから約13kmに位置するこの石切場には、切り出し途中の円柱、
輸送中に放置されたと思われる円柱などが今も残っていて、
戦争が始まり作業が突然中断されてしまったことが見てとれます。
まるで時間がストップしたかのようです。
G神殿は紀元前530年頃に着工、カルタゴがセリヌスを襲った紀元前409年にもまだ建設中でしたが、その規模は当時最大級のものでした。
▼石切り出し工程
※イラストは遺跡内の看板を撮影したものです
次回のシチリアレポートでは、
圧巻!神殿のレリーフが目の前で見られる、パレルモのサリーナス考古学博物館をご紹介します。
- Author Profile
原 志津子/shizuko hara
シチリア州公認ガイド、日本語通訳。 当地在住14年(2016年時点)になりますが、歴史と文化の薫る、美しい自然のシチリアが大好きです。
日頃よりシチリアを中心に旅行客の皆様をご案内しながら、 素晴らしいシチリアの魅力を少しでも多くの皆様に知ってもらいたいと思っています。
自らも、おいしいものと旅が大好きで、愛車TOYOTA YARISでシチリア中をまわり歩く個人旅行者です。
趣味はシチリアの豊富な食材を使った料理で、得意料理はイカスミリゾット、カポナータ。
http://www.shizukohara.com/