Vol.36 アラブ人と貴婦人の壺に秘められた伝説
シチリアを旅していると各地でベランダの両側に陶器でできたアラブ風男性の頭をかたどった鉢と、貴婦人女性の頭の鉢が飾られているのをよく見かけます。
観光の案内をしていても大変よく目に付くので、「あれはなんですか?」と良く質問を受けます。
これには色々な伝説がありますが、悲恋の物語です。
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西暦1000年ごろ、かつてシチリアがアラブ人に支配されていた頃のお話です。
現在カルサと呼ばれるパレルモの下町に美しい娘がいて、バルコニーを植木鉢で飾り、植木を手入れして過ごす穏やかな日々をおくっていました。
ある日、その下を1人の黒人の若者が通ります。
そしてその美しいバルコニーと、娘にたちまち魅了され、若者は娘に彼の熱い思いを情熱的に告げます。その言葉は娘の心を射止め娘も若者の愛に応えました。
幸せな日々を送っていましたが、若者はある日、自分の秘密を打ち明けます。
それは、実は若者には祖国に彼を待つ妻と子供がいるので、いずれは祖国に戻らなければならないというもので、それは娘との別れを意味していました。
彼女との愛に終止符を打ち祖国にいる妻の元に戻るというのは、娘にとっては到底受け入れがたいものでした。
裏切られたという悲しみ、怒り、狂おしいまでの愛、様々な思いが渦巻きますが、この愛を失いたくないと思う娘は彼はどこにも行かない、いつまでもずっと私と一緒にいなければいけないと思います。
ある晩若者がぐっすりと眠っているのを見て彼女は一撃を加え殺してしまいます。
愛する若者はもう彼女を置きざりにして去っていくことはありません。
ずっといつまでも彼女のそばにいるのです。
娘にとっては、殺してしまった後ですら若者は愛おしく、その愛してやまない若者をいつもそばに置いておくために頭を切り取りそれを鉢にして、その中にバジルを植えます。
バジルは古代ギリシャ時代より聖なるオーラを放つ高貴なハーブとされていたからです。
恐ろしいことを行ったにもかかわらずその狂おしい愛で若者を愛し続けます。
毎日その悲しみの涙でバジルを湿らせ、バジルは元気に立派に育っていきます。
この鉢はバルコニーに置かれて、芳香を放つ立派なバジル見た人々は羨ましがり、娘の鉢にあやかって、同じような形の鉢を陶器で作らせます。
今日、花瓶の頭には王冠があしらわれていますが、悲劇の黒人の若者の頭を飾った高貴なハーブを表しているのです。
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ボッカチオの「デカメロン」でも似たようなお話が出て来ます。
デカメロンは十人が10日間それぞれ決まったテーマに基づいて語るというもので、全部で100話からなるお話。
この話は4日目、悲恋の物語として、メッシーナ(やっぱりシチリア!)のリザベータの話として登場します。
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メッシーナの商家の娘リザベータは使用人であるピサの若者ロレンツォと恋仲になります。
しかしそれを知った兄弟たちは仕事で旅に出る際にロレンツォを連れていきそこで殺してしまいます。
時々遠くに行かせていたこともあるので、妹には、遠くで仕事をしていると伝えます。
娘もそれを信じていたのですが、いつまでたっても恋人が戻ってこないので、絶望しはじめます。
ところが夢にロレンツォが現れ、自分は兄弟たちに殺されここに埋められていると告げるのです。
リザベータは侍女を伴いその伝えられた地に赴き、そこで、恋人の遺体を見つけます。
惨めに埋められた若者の遺体は持ち帰れませんのでせめてもと頭を切り取り、その短かった愛の証として家に持ち帰ります。
家路につくと鉢に入れそこにバジルを植えました。毎日その鉢を抱えて泣き暮らす妹を不審に思いその鉢を調べて見ると、何と中からロレンツォの頭が出て来ます。
兄たちはその鉢を処分して、メッシーナで妹のことが噂になるのを恐れてナポリに居を移してしまいます。
リザベータは愛する人を埋めた鉢を懇願し続け、悲しみのあまり病に伏しとうとう亡くなってしまうのです。
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誰でも愛するものにはたとえ亡くなってもいつまでもそばにいてほしいという思いはあり、この伝説が語り続けられているのでしょう。
ところでシチリアの窓辺や玄関先には、もう一つよくみられるものがあります。
それは、こちらの松ぼっくりの陶器です。
玄関先に置かれるのは歓迎とおもてなしを意味するものですが、こう言った習慣はどこからきたのでしょうか?
松はたくさんの実をつける常緑樹で松かさは生命力と永遠を象徴し、太古の昔よりあらゆる文明を通じて、生命力、不死、神聖など幸運のシンボルとされていました。
地中海地域では神の宿るところとして、古代ギリシャでは神と不死の象徴とされています。
ローマ時代には葬送の儀式に用いられ、キリスト教の時代になると柱頭やアーキトレーブなどに彫り込まれています。
松かさはたくさんの種をつけるところから命を生じる力、多産のシンボルともされてきました。
このような良い意味を持つので古くから贈り物としたり、家族の幸運のシンボルとして家に置いて崇めるなどの習慣がありました。
家族の繁栄を願って崇められ農家の新婚の夫婦の寝室には必ずと言って良いほど置かれました。
1800年代にはダブルベッドの四隅の鉄枠の上の飾りによく用いられたそうです。
まさに多産、子孫繁栄をダイレクトに願うもので、何かにつけて縁起を担ぐシチリアらしい習慣といえます。
結婚のお祝いや、新築祝い、誕生祝いによく贈り物にも使われてきました。
シチリアではこの習慣がよく残っていて、松ぼっくりの陶器飾りはほぼどの家にもあるといってよく、玄関先やバルコニーの手すり、また室内装飾にもよくあしらわれています。
縁起担ぎの人はこれまた縁起が良いとされる赤や黄色のペーパーウェイトを愛用しています。
大きさや用途はどうであれ、松ぼっくりの飾りは万人が認める上品なもの、受け取った人の繁栄と平和を願うメッセージの込められたものとして、贈り物として大変珍重されています。
- Author Profile
原 志津子/shizuko hara
シチリア州公認ガイド、日本語通訳。 当地在住14年(2016年時点)になりますが、歴史と文化の薫る、美しい自然のシチリアが大好きです。
日頃よりシチリアを中心に旅行客の皆様をご案内しながら、 素晴らしいシチリアの魅力を少しでも多くの皆様に知ってもらいたいと思っています。
自らも、おいしいものと旅が大好きで、愛車TOYOTA YARISでシチリア中をまわり歩く個人旅行者です。
趣味はシチリアの豊富な食材を使った料理で、得意料理はイカスミリゾット、カポナータ。
http://www.shizukohara.com/